今日は花の日、思い出ひとつ🌼

お散歩仲間

若い保育士さんに語る思い出話

今日はキリスト教での花の日礼拝。アメリカ・マサチューセッツ州で子どもたちを集めて行ったのが始まりと言われています。日本では明治中期に始まり、礼拝後に近隣の施設等を訪問し、感謝する習慣があります。

rosieさんがなぜ若い頃の失敗?談を語るかというと、その時の園長先生の態度に今となっては感謝するからです。

当時の勤務先はキリスト教の保育園でしたので、6月の第2週には恒例の花の日の行事があり、子どもたちが花を持ち寄り、近隣の警察交番、病院、消防署などに花束を持って行き、感謝する日でした。

ところが若いrosieさんは職員会議で疑問を投げかけました。「警察官も消防署職員も、きちんと給与をもらって働いているのは一般社会人も皆同じでしょう?なぜ、彼らにだけ花束を持って行くのですか?」

誰も何も言いませんでした。沈黙の後、園長先生が言いました。「わかりました。今年は花の日行事をやめましょう。」と・・・そして、その年は花の日の行事はなくなりました。

その後、rosieさんは「あれで良かったのだろうか?」とずっと考えていました。(まさか、本当に花の日行事がなくなるとは思っていなかったからです。)

翌年の春、新年度の行事を決める時、ある先輩が言いました。「昨年は中止してみたけれど、やはり、公共の仕事に対する感謝は必要だと思う。」と。続いてrosieさんも「私もそう思うようになりました。」と。

それで、その年はいつものように子どもたちが花を持ち寄り、花束を交番、消防署、日頃お世話になっている病院などへ届けたのでした。

でも、今になってすごく感謝するのは、あの時に「ではやめてみよう!」と園長自らが決断し、やめてみたからこそ、保育士みんながその必要性を再認識できたということ。若い保育士の意見に耳を傾けてくれ、「一旦やめてみた」あのH園長先生はすごかったなあと。

どんぐり保育園でも、行事、行事に追われて、準備や掲示、反省会や報告書に時間を取られる保育士さんの愚痴を聞く度に、あのH先生は偉かったなあと。当たり前にやっていることの意味を再確認してみることの大切さを思うのですよ。

もう天国へ行かれたH園長先生、今でもあなたの決断の凄さに感動しています。

では みなさま ごきげんよう。

 

 

 

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