「福田村事件」の本を読む

100年前、関東大震災時の千葉で起きた事件

映画も見れなかったのに、手渡されて読むことに

表紙は近くの自然公園の蝋梅の林です。満開で甘い香りがいっぱいでした。

『福田村事件』 辻野弥生 著 (五月書房新社)

こんな悲惨な事件があったことは知っていました。被害者が香川の薬売りの行商人たちだったから、香川で聞いたのかも? じゅんこさんは映画を見たそうです。

今も能登地震のニュースが痛々しく流れてきます。大勢の方々がまだまともな暮らしをできないまま、時間が流れていきます。

関東大震災は1923年9月1日。震災の余波であらぬ噂「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」と言う噂が広がります。千葉県の福田村でも。行商人15名中、10名が殺されます。まだ子どもであった6歳、4歳、2歳そして妊婦のお腹の中の子どもも。

でも当時、日本人が「朝鮮人たちを殺せ」と騒ぎ出し、多くの朝鮮人が殺されたこと。日本人でも「言葉が違うから朝鮮人だ」と決めつけて、殺害におよんだことは一部では知らされていましたが、多くの人は知らぬまま、時が流れました。

そのことが昨年、森達也監督によって映画化されたのでした。でもrosieさんはあまりに残酷で怖くて見に行けませんでした。

ところが子ども文庫の会で仲間から本を手渡されました。彼女は映画も見たのだそうです。「見たくないけれど、見なければならない」と思ったのだそうです。

それでrosieさんも観念しました。嫌なものでも真実は見なければならないと。

福田村事件のきっかけは讃岐弁?!

一気に読んでしまったのですが、ショックだったのはきっかけは讃岐弁だったことです。

当時、朝鮮人かどうかを区別するために「ガギグゲゴ」「パピプペポ」を言わせたり、「日本の国家を歌ってみろ!」と言ったりしたのだそうです。

確かに四国の言葉は関東の言葉とは違います。それはrosieさんがこちらへ引っ越してから痛切に感じたこと。昔、子どもたちを連れて帰省した時にも近所に人に笑われた記憶があります。そして、今回引っ越すにあたり、こんなに言葉で冷たい風が吹くとは思ってもいませんでした。

仕事を始めた当初、なぜか皆、距離を置かれてしまいます。言葉のイントネーションが違うから、「何?この人はどこからきたの?」と思われたようです。保育園って地元勤務の人が多いからね。

そんなに気にしていなかったrosieさんはショックでした。近所のじいちゃんたちの「〜べえ!」という方がよほど東北弁か?と違和感を感じたほどなのに。

以後、自己紹介の時に「四国出身なのでことばのイントネーションが違いますが」と一言、付け加えておくことにしています。子ども達に絵本を読む時も、間違っていないかなあ?とちょっと気にしながら読みます。

でもね、本当はいろんな方言があっていいのだと思うのですが・・・

韓国のパゴダ公園の思い出

この本を読んで、ドキッとしたのは「もしかしたら私も殺されたのかも?」ということ。だって、言葉違うもの・・・

でもね、映画の中で行商の親方が言うんですって。「朝鮮人なら殺してもええんか!」

ずっと若い頃?韓国のパゴダ公園(タプクル公園)に行きました。日本が侵略した頃の朝鮮の様子が壁画として残っていました。

教会に朝鮮人を閉じ込めて、火をつける様子でした。その壁画を見た時に、私は当時は生まれてなかったけれど、日本人の罪の意識に襲われました。

この「福田村事件」も隠されてきましたが、人は皆、恐ろしい一面を持っていると気付かされるのでした。割烹着姿のおばさんが人を殺すのですから。人は加害者にも被害者にもなる・・・

手に取るのが億劫だった本ですが、渡してくれた人に感謝です。四国弁を話す皆様、人ごとではありません(笑)

では みなさま ごきげんよう。

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